数年前から、毎年この時期になると読んでいるのが大岡昇平の『俘虜記』です。今年も、おととい読み終わりました。
『俘虜記』は、第二次大戦末期に召集されてフィリピンの戦線に送られた大岡本人の従軍体験をつづったもので、マラリアにかかって体力の衰えきった著者が、米軍の攻撃によってちりぢりとなった部隊から取り残される形ではぐれてしまいます。生死の間をさまよいながら山間を彷徨するうちに気を失って米軍の俘虜となるまでの体験と、俘虜となってからの自分自身や他の俘虜に対する観察が鋭く乾いた文体で書かれています。
そのなかで、ドイツの俘虜と出会う場面があります。大岡は英語を流暢に話したため収容所で通訳をすることになりますが、あるときドイツの潜水艦の乗組員だった俘虜フリッツがやってきて、多少のドイツ語も話せた大岡は、「俘虜のうちにドイツ語を思い出しておくのも悪くないと考え」て、米軍の収容所長の許可を得てそのフリッツの収容された小屋に1日1時間だけ会いに行きます。
フリッツから書いてもらったシラーの詩を見せられた大岡は「彼はゴシックで綴ったので、二十年全然この外国語から離れた私には読めなかった」と書いています。ここでの「ゴシック」は、日本でのいわゆる「角ゴシック体」(サンセリフ体)ではなく、英語で言う「Gothic」、たぶん私が以前 この記事 で書いたようなゴシック体の筆記体だったために読みにくかったと思われます。
私の家族も太平洋戦争とは無縁ではありませんでした。
私の父は五人きょうだいの末っ子でしたが、長男から三男までは出征して、三男の常(ひさし)は消息不明で戻っていません。私が小学生の時から高校卒業までのあいだ住んでいた狭い家の床の間にいつもかけてあったのは、その常が14歳の時に書いたりっぱな楷書体の掛け軸でした。14歳が書いたと思えないような凜とした線で、見るたびに背筋が伸びるような気になりましたし、今でもその線をありありと思い浮かべることができます。
私は子供ながらに、毎日それを見て文字の力というものを感じ取っていたのかもしれません。
体格検査で不合格となって召集されず終戦を迎えた末っ子の父は、新潟の中心部、古町(ふるまち)近くのカトリック教会にやってきた進駐軍のジープの排気ガスの匂いが好きで、いつもジープが通るのを楽しみにしていたそうです。そんな能天気なところも私は受け継いでいるんでしょう。