デザインはほとんど盗用であっても、フォントの名前を変えればいちおう法的にはひっかからない、という例のもっとそっくりなのが、有名な Palatino(パラティノ。1948年ヘルマン・ツァップ作)のクローン Book Antiqua(ブック・アンティーカ)です。書体デザインに詳しい人は、Helvetica と Arial との違いを見分けられると思いますが、こうなると私も見分けられない...
1993 年にツァップさんが ATypI (国際タイポグラフィ協会)を脱退したのは、その年のコンファレンス会場で「フォントの保護」をうたった講演をしているにもかかわらず、 大手ソフトウェア会社が会場で Book Antiqua の入ったフォントデータのディスクを無償配布する、ということをしたからです。この話をしてくれた私の友人も含め、良識ある参加者はそれに抗議してすぐにディスクを突っ返しています。
その大手ソフトウェア会社は、それ以前に Arial を自社のOSに搭載していたので、「またか」ってことでデザイナーのフォーラムなどで叩かれてさらに世論の反発を買いました。いよいよ風当たりが強くなって、ようやくライノタイプ社に正式に Palatino のライセンスを申し出たのが Palatino Linotype です。これは、原図はライノタイプが提供してデジタル化はモノタイプ社で行っています。しかし、その後も Book Antiqua は搭載・販売され続けていて、ツァップ氏は怒っています。
ツァップさんが書いた記事「書体デザインに未来はあるか」(注)の中からごく一部を要約します。
「大手ソフトウェア会社が“Book Antiqua”と称して Palatino の低級なコピーを搭載しているが、私には何も知らされておらず、デザインの修整もできないし、当然1セントのロイヤリティも支払われない。大会社ならば、自ら最高の Palatino を開発して使うべきではないのか。書体制作には数年間かかるが、それをコピーする側は何の手間もかけていない。何も知らないユーザーは、その会社が書体の開発費を正当に払っているものと思いこむのではないか。」
(注):TIA (Typographers International Association) の会報、1994 年 2 月号に掲載された。
結局、大手ソフトウェア会社は、書体 Frutiger (1976年アドリアン・フルティガー作)にそっくりな Segoe(シーゴー*)という書体を委託して開発し、自社のOSに搭載しています。これに対してもライノタイプは大手ソフトウェア会社に抗議をして、ライノタイプと無縁の多くのデザイナーも反対運動をしましたが、Segoe はいまも使われています。
ライノタイプ社の前の社長は、Segoe の件で打ち合わせの時に、私にこう言ったことがあります。「抗議とか訴訟とかに時間とお金を使うより、その費用をフォント開発に回して、どんどん新しいフォントをつくり出すメーカーだというプラスのイメージを持ってもらった方が近道ではないか。」 良質な新しいフォントを開発し続けることでユーザーの信頼を勝ち取り、書体メーカーに利益を還元したくなるような雰囲気をつくろうという姿勢です。これには私も賛成です。ただ、時間のかかることだとは思います。
* この発音については、読者の方から助言をいただいて米国式の発音に近い表記に書き換えました。最初は「セゴエ」とドイツ語式で書いていました。ななしさん、ご助言有り難うございます。