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一つ前の記事に載せた売店からそんなに離れていない場所に、もうひとつの古い売店があることを知り、きょう行ってきました。
ここには、昔のレタリングはありませんでしたが、「ハーナウを忘れるな」という言葉が売店にステンシルでスプレーされていました。
一年前の昨日2月19日、フランクフルトからそんなに遠くないハーナウ市で、人種差別的な考えを持つ43歳の単独犯に9人の命が奪われる事件があり、犯人はその後自分の母親も殺してから自害しています。
この事件の起きたハーナウ市では、ちょうど1年を迎えたきのう追悼の集会が開かれ、ドイツのニュース番組も長い時間を割いて追悼の特集を組んでいました。ニュース映像では、犠牲者のモニュメントのある広場に自発的に集まったと思われる市民が大勢いて、口々にインタビューに答えて、この悲劇を繰り返さないようにと訴えていました。
まさにドイツ全土が悲しみに包まれた、という日でした。
ハーナウ市とは別の場所にあるこの売店の向こう側の広場は、ドイツの哲学者カントの名前がつけられていて、カントの言葉を刻んだモニュメントも立てられています。
住宅街の中に降りた UFO のような建物、これは1950年代頃に建てられた売店です。おとといのニュースで取り上げられていたので、車でひさしぶりに高速を使って30分ほどのところへ行ってみました。
近寄ってみると、当時売られていた飲料水のレタリングがいい味出しています。
なんかロックダウンがずっと続いていると、出かけるのも家の周りの散歩だけではつまらなくなって、人ごみはないけれど面白いところに行ってみたくなる。でも、お店も何も空いていないのですぐに帰ってくることになります。
「100年」という単位のことを考えたのが先週、そして今度は「10年」を考えてみます。
本文にも使われるような書体は、あちこちで頻繁に見かけるようになるまでには10年かかる、と思います。
スーパーマーケットに行ったら、2017 年の このブログ で書いた、牛乳に混ぜて甘い飲み物にするための粉末「Kaba」のロゴが、私のつくった書体 Akko Rounded になっていました。Akko の発売は 2011 年。ちょうど10年です。
2017 年のときのパッケージがこれ(下)。
このほかにも、去年見た例では、住んでいる町の旧市街で昔は帽子屋だった小さな個人店が新しくアクセサリーなどのお店に変わっていたので近づいてみたら、そのチラシに使われていたのが Akko だったことも。
そして、昨年8月のブログ で書いたとおり、ドイツの南部の Covid-19 の検査場の案内が Akko で組まれていました。
そして、Akko より少し前に私が設計して 2009 年に発売された DIN Next Rounded のほうも、ドイツ鉄道が昨年新しく導入した車輛の番号や数字部分などに使われています。長男が撮影してくれました。
いつからか知らないけど、テレビ番組のテロップにも使われていました、、ヘッセン地方のニュースです。
Akko や DIN Next Rounded は、本文にも使われることを想定して設計しました。
どちらも、最先端の流行を取り入れた見出し書体と違って、すぐにパッと火がつかないぶん、長く使われるはずです。
私の恩師、髙岡重蔵 氏が生まれたのが 1921年 1月18日だったので、ご存命だったらきょうでちょうど100歳。
100年というのは、長いのか短いのか。
20年前、私がドイツの Linotype 社からメールをもらい、ドイツでタイプディレクターとして仕事をしないかと持ちかけられ、ドイツ語も話せないのにどうしよう、など不安でいっぱいのときに重蔵氏に相談したら、軽く「あ、行けばいいよ」と言っていただいたのが決心につながりました。
『髙岡重蔵 活版習作集』をじっくり眺めます。どのページを見ても、欧州の印刷物の香りがする。しかもとびきり上等の。
思えば、重蔵氏には、日本も西洋も、国境も言葉の壁も、何にもなかったのかもしれない。そんなことを考えました。
一つ前の記事「自然が描く形」の下田さんとのやりとりのきっかけになったのは、田中さんという方からのコメントでした。グラフィックデザイナーでも書体デザイナーでもなく、ハンガリー刺繍のビデオをあげている方なのです。ビデオは こちら。
なんだか私の本『欧文書体のつくり方』が参考になったそうで、その田中さんの許可を得て、いただいたコメントを引用します。
「錯視のことと、克服の仕方、文字が複数連なったときの見え方、互いのバランスをここまで理路整然と述べた本は稀かと思います。」
錯視以外の部分でも、アルファベットの O は一筆書きのように見える形でも二回に分けて書いている、という点と、まるで一本の連続した線でできているように見える唐草模様を、糸が生地の間を出たり入ったりしながら何本もの短い線でしかもごく自然に見えるようにつないでいく刺繍の運針の方法とのあいだに共通点があるようです。カリグラフィーも刺繍も、材料の性質や道具を持つ方向などなどからくる制約を知って、無理の生じそうな部分を避けながら自然に見せているところが共通するんだと思います。
私は、これまで刺繍をしているところを直接見たことがなかったので、リンクをしたビデオでは「そこから始めるのか!」「結び玉はつくらないのか!」 など、いろいろ想像と全く違う展開にドキドキしました。
そういえば、窓の氷の模様も刺繍にも見える。
書体デザイン、カリグラフィー、そして刺繍というジャンルを超えたつながり、自然の造形と人の手のつくり出す形がますます面白い。
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